現在日韓関係はとてもギクシャクしているようです。
2011年嫌韓・ヘイトスピーチが起き、首脳会談も開かれない状況です。
お隣の国とは仲良くしたいものですが、お隣だからこそ仲良くできないのも、この世の性なのでしょうか・・・。
しかし、現在僕が通う大学では、現在の日韓、そして北朝鮮との関係を、
感情論ではなく、またイメージでもなく、
極めて学術的に確かなデータをもとに研究し、また実際に韓国や北朝鮮をその足で訪れ、「真実」を見てきた多くの方々が毎週、様々なテーマで講演を行ってくれております。
本当に貴重なお話を毎回聞けています。
今回はその中から、日本ではあまり知られていない「浅川巧」という人物のことについて、お話したいと思います。
浅川巧は日本が日清・日露戦争に勝利し、1910年に「日韓併合」を行い、実質植民地支配を開始した時に、朝鮮に移住した稀有な日本人でした。
注目すべきことは、彼が当時、日韓の双方で評価された人物であったということです。
彼はなぜ朝鮮の人々や、文化に魅了され、また現地の人々からも愛されたのでしょうか?
彼のことについて、授業で学んだことについて書いてみたいと思います。
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彼は1913年から、朝鮮総督府の技術官僚として、今の韓国に渡りました。
そこで、韓国の山と、民芸をとても愛したことから、韓国人の心を捉えることになります。
当時山ばかりで木がなかった朝鮮の山々に緑を取り戻すために努力し、めざましい研究成果を発表するなどして活躍しました。
そして、そんな本業の傍ら、朝鮮の陶磁器を熱心に研究し、白磁と呼ばれる陶磁器の美をたたえました。
彼は朝鮮の文化を高く評価し、そして尊重しました。
その頃、多くの日本人が「朝鮮に学ぶものなど何もない!」という中で、彼はそんな朝鮮の白磁に魅せられたのです。
職場の同僚らとも、親密な付き合いをしたそうです。
彼の著書、「朝鮮民芸論集」の浅川の言葉からも、彼が本当に朝鮮を愛していたことがわかります。
「・・・私の問いに親切に答えてくれた朝鮮の友、数え切れないほどの多数の方々を一括してここに謝意を表し、なお親しみの一層加えらるることをねがってやまぬ。」
また、自身も総督府の官僚でありながら、総督府の城壁・城門の破壊を批判しました。
彼は、「自分らが同じ立場で江戸城を壊されたらどう思うか?私は日本固有の建造物の死を悼まずにはいられない。・・・それと同じことが今この京城で起きようとしているのだ」
そして彼は朝鮮人に対して、このような言葉も残しています。
「疲れた朝鮮よ、他人の真似をするより、持っているものを失わなかったら、やがて自身のつく日が来るであろう。このことはまた工芸の道ばかりではない。」
彼はその豊かではない収入の中から、貧しい子供たちのための援助もしました。
このようにして、浅川巧は多くの朝鮮人からしたわれたのです。
今彼は韓国の首都、ソウル郊外にある共同墓地に静かに眠っています・・・。
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はあーなんか、いい人ですね(笑)。
(笑)とつけたのは、すごい美談すぎて、なんだかな・・・と正直思うからです。
僕もこの日韓の問題に関しては、一応ですけど、今までいろんな人の意見や、見識を聞いてきました。
まあ、そんなに情報を吟味したり、自分で残ってる資料を集めたりしたわけではないですから、
完全にただ誰かが言ってたことを自分の頭の中に流しただけなんですけど(笑)。
それで、まあなんとなくわかったのは、もう「どっちが正しくて、どっちが正しくない」とか、そういうことを議論するレベルではないだろうということです。
慰安婦は強制じゃなかったとか、
日本は十分な賠償したかしてないかとか、
併合のおかげで、韓国は近代国家になったとか、
その中でも治安維持法でひどい目に会った韓国人が大勢いたとか、
本当に多くの研究者が、どんどん出てくる資料や、当時の関係者の証言などに当たって、様々な情報を私たちに届けてくれます。
でも、それを誇張して、ほら、やっぱり日本は悪くないじゃないか、いやいや韓国は本当に辛い思いをして・・・
とか「どっちが上か下か」みたいなことを協議したところで、ほぼ意味ないんじゃないかと。
「知らない」のはそもそもダメですけど、知った上で、もう僕たちは新しい時代を築いていく側なんですから、お互いにわかりあえる道を見つけていかないといけないんじゃないかと思います。
現に、この講義の講師の方々は皆その視点に立って物事を語っています。
わかっているんです。
いろいろ。
そしてこれからも知り続けるんです。過去のことを。
でも、今大事なのは、これからのこと、未来なわけです。
皆、建設的な、新しい歴史を築くためにこの講義を僕たちにしてくれていると感じます。
て偉そうに語ってしまいましたが、結局僕もようするにわからないってことなんですね。
ただたぶん、偏った見方をするのが一番いけないんだろうと・・・。
個人的にはよく、「韓国併合のおかげで、韓国は近代国家になれたんだ!」という主張がありますが、じゃあなぜ全員が全員この浅川巧のように感謝されなかったのか?
僕が今回わかったことは、韓国の人々も、自分たちに好意的な人物には好意をいだくということです。
たとえそれが日本人でも。
まあ人間そんなものですよね。
「あいつらは腐ってる」「人間としてゴミ」とか平気で言う人がいますが、それはおかしいでしょう。
ある人は愛され、ある人は嫌われる。
併合時に、「ひどい差別を受けた」「どうして自分の国で自国民が差別されるのか?」と、確かに苦しんだ人はいます。
人間ですからね。100パーセント同じ見方、感じ方をすることはないです。
理屈では割り切れないのが人間の心でしょ?
「半沢直樹超おもしれー!」て全員がいうわけじゃないですよね?
中には「いや、おれあれ嫌い。堺雅人嫌い。」的な人もいるんです必ず。
この日韓の問題は裁判して、どっちが有罪かの問題ではないと思います。
大事なのは確かにそこにいろんな「感情」があったという事実です。
事実、史実は一つですが、
それを当時「見て」、実際に「感じた」人々の心は無数にあったはずです。
確かに「あった」はずです。
そのことに想いを馳せるというか・・・。
何かもうわからないですが・・・。
複雑ですよ、めっちゃ・・・。
「想像力」を働かせたいですね、もっと。
特に僕たち若い人が、ね。